第二回 恋と嘘 1から4
好きって何?
さて、第二回ですが、お題は本日発売の「恋と嘘」の四巻です! するつもりはなかったのですが急きょ漫画のレビューをすることにしました。
三巻を読んでから四巻の発売日を今か今かと待って、発売日の今日購入。普段ならすぐ読んでしまうところですが、今日は我慢して、夜やることが全て終了してじっくり楽しめる時間まで読みませんでした。
そして、読み終わりこれは感想を書くしかない。いや、これは私の使命なのだ! とベットから飛び起きて、今に至るわけです。
……今日発売とか言ってますけど、これ日付が変わる前に書き終わるのかな? 善処します。
そろそろ漫画の話に入っていきましょう。
国が結婚相手を決める社会で、決められた女の子と、元から好きで両想いの女の子の間で悩む主人公を描いた恋愛青春ストーリーをベースとして話は進んでいきます。
この漫画が、ほかの青春恋愛漫画と相対的に比べて、優れていると私が思うところは、今言った国が結婚相手を決めるという設定……そのものと言うより、そこから生み出される深み、これだと考えています。
一般的な恋愛漫画だとどうしても、誰が好きで誰と付き合ってと言うところがメイン、どころか話の大部分になりますよね? ほとんど寄り道はありません。ああ、もちろん私はそれも大好物ですよ!
しかし「恋と嘘」はそこにワンスパイス、自分ではどうしようもない場所からの介入があるんですね。
この設定、実は近いことは私も考えたことがあります。少子化? それなら国が相手を決めちゃって無理やり子供作らせればいいじゃん!
でもムサヲさんはもう一工夫したんですね。国が決める相手をその人にとって運命的に相性の合う人にしたんです。なんて優しいんでしょう。本当に素晴らしいアイディアです!
そしてこの設定を入れたことによって、メインはもちろん登場キャラの恋愛模様なんですが、この設定をめぐっての考察、そして伏線が漫画にちりばめることができるんです。これで恋愛漫画に、謎を残してストーリーを進めていけるんですね。
でも私がこれをお勧めしたい理由はもっと単純です。
……ねえ”好き”って何?
哲学ですね。もう哲学ですよ。このセリフ四巻で二回も出てきました。冒頭に書いたのが高崎さんでこの上に書いてあるのがゆかりが言ったセリフですね。二人が葛藤して葛藤して漏れたこの言葉。この言葉だけで一日でも、もしかしたら一生語ることができるのかもしれません。それほど大きくて、でも私たち全員の胸に刺さる言葉ですよね。
好きって何でしょうか。これそのものについて語るのは漫画の感想、あるいは評論ではなくなってしまうので、ここでは止めておきます。もちろんいつか語りたいなとは思っていますけどね。
なので上に書いたこの漫画でのセリフに注目して語っていきたいと思います。
というか日付普通に変わりましたね……九日に買って、書き出したんだっていう私の熱意だけは覚えておいてくださいね!
はい、話を戻します。
私がこの四巻で気になったのは、高崎さんとゆかりのセリフ。一見同じようなことを言っている気がしますね。でもここに作者の意図が垣間見えると思うのは私の深読みでしょうか?
漫画通りの順番で行くと、先にゆかりが言った「…ねえ”好き”って何?」というセリフが来るんです。このセリフはかなり哲学だと思うんですよ。
もう一人のヒロイン、りりなが政府通知の相手として現れて、彼女と過ごすうちにゆかりの心の中にりりなを思う気持ちが芽生えます。
けれども自分の高崎さんを思う気持ちは変わらないし、ずっと好きでした。今も高崎さんに好きと言われてきっと本当にうれしいんだと思います。
でもだからこそ、この二人へ向いている思いが何か違う色を持っているのは理解していながら、だんだんどちらが好きなのか分からなくなる。というよりその二人への思いの強さが近づき始めます。
でもどちらかが特別というわけではありません。二人への思いの性質は少し異なっているから。
だからこそ無自覚に悩むわけです。
”好き”とはいったいどんな気持ちのことをいうのだろうか? 何なのだろうか? どうしたら唯一の”好き”なのだろうか?
では、高崎さんのセリフもゆかりと一緒なのでしょうか? 私はそうは思いません。
彼女のセリフはこうでした。
好きって何?
ゆかりと違って好きに「””」がついていないのに気づいたでしょうか?
彼女がこの言葉を発するまでの流れを少し見てみます。
まず先ほど取り上げたゆかりのセリフに対して答えを返すところからです。ゆかりの”好き”って何? と言うセリフに高崎さんは自分が抱いてきたゆかりへの思いを言葉にします。
彼女の中の葛藤、そして好きになればなるほど辛くなっていって、触れられれば触れられるほどうれしいのにそのあと苦しくなるという気持ち。
そんな気持ちや我慢が爆発して、好きって何? と言うセリフに至るわけですね。
ゆかりが、そもそも好きという気持ち、それ自体がどういうものなんだろうと悩むのに対して、高崎さんはゆかりが「好き」と言うのは分かっていて、そのうえでどうして好きなのに辛くなるのか、好きってなんなんだという叫びのような印象を受けました。
だからゆかりの方には好きという概念そのものに疑問を持っているから「””」がついていて、高崎さんの方はそうではないということで区別されているのではないか? と考えました。
ここでは深く取り上げませんが、仁坂についてもかなり考察のし甲斐がありそうですが、肝心なところはかなり隠されてしまっているのでまたの機会にします。
きっと恋と嘘においてムサヲさんなり「”好き”とは何か」につての答えを出してくれるはずです。私はかなーり楽しみにしています。
ただ、そう思うのはちょっとせつないんですが……”好き”とは何か。こう考えている私はその時点で、「本当の恋」にはまだ出会えてないのかもしれません。本当の恋に出会っていたらあるいは認めることができていたら、それこそ高崎さんのよう好きと言う感情とは何か? そんな哲学的なことについては悩まないのかもしれません。
こんな風に最後は少し湿っぽくしめさせていただきます。
少しは評論らしくなったでしょうか?
最後までお付き合いありがとうございます。
それではまた次回。